ラオス
VOLUNTEER

NGO活動記録「ラオス」

  主催:BHNテレコム支援協議会/支援:IARV
  個人記録:ハムランド JH1WBG 斉藤
 1999年4月のはじめ、ラオスへのNGOボランティア活動支援の話がでた。
 今回は、ラオスの首都ビエンチャンの近くの病院とビエンチャン県内のいくつかの診療所の連絡用無線機の設置である。電気も一部しかなく、もちろん電話もないし、郵便配達機能もほとんどないようである。
 かなりの数の設置をラオス内各県ごとに計画されているそうだが、そのうちの ひとブロック内の一部が今回の仕事である。
 現地にはBHNの猪尾氏が駐在しているので石塚氏か私かの一人が候補にあがった。数日後、今回は石塚氏ひとりで行くこととなり資材の調達に私は協力していた。
 話が煮詰まるにつれて、結構大変な作業内容であり一人では無理ではないか、ということで私も急きょ行ってくれないかということになった。
 時期的にちょっと忙しく、悩みに悩んだ末、行くことに決心したのは約一週間前。
今までイエメン、パレスチナとお誘いがあり経験があったので、自分の決心さえつけば気楽になる。
 これは自分のための記録につき、不適切なところや公開しづらいところもあるが、軽く流して見逃していただき、興味のある方は参考にお読み下さい。

日付・時間    

行動・活動の記録

1999年4月23日
 新宿にあるBHNテレコム支援協議会事務所を雨の中、石塚氏と訪問
 篠原所長に挨拶し、チケットと、重いでかいインマルサット衛星電話をあずかる。
 アマチュア無線はできないが、もう行くしかない。hi
1999年4月25日
6:30 自宅出発 小雨のなか横浜駅へ
7:26 横浜発 成田エクスプレスで石塚氏と成田空港へ
免税店でタバコとお土産に絵はがき、飾りのミニうちわを購入。
フィルムが無かったのでここで購入、3本2100円は高い! 
出国待会室でNECの四方さんにばったり会う。
ヨーロッパから帰ってそのままバンコクの工場へ行かれるとのこと。
11:00 成田発 JALでバンコクへ6時間の旅
(以後 現地時間、日本時間はプラス2時間)
15:15 バンコク着
最近は、飛行機の中は全部禁煙、空港も指定ボックスの中でしか吸えない。
煙箱のなかで一服、缶ビールと軽食をとる。  
18:20 バンコク発 上翼双発プロペラ機でビエンチャンヘ1時間半の旅。
プロペラ機は狭くて少々うるさいが快適。
夕焼けがきれいだ。
19:40 ビエンチャン着
飛行機から歩いて入管施設まで。
猪尾氏と落合いホテルへ、打ち合わせと夕食。
LANE-XANG-HOTEL 001-856-21-214102
 国営の上級ホテル、22$。
ちょつと暑いが、街は結構にぎやか?いいところだ。
なぜか、このホテル内食堂は日本食しかない。
イカ焼き、エビ焼きなどつまみに一杯。トンカツ定食でしめる。
食べ物はなかなか安くておいしい。ラオビールもうまい。
道をはさんだ向こうに日本食以外はあるそうな。
寝る前にちょっと散歩してみるが、遅いのでほとんど閉店。
クラブみたいなのがあったが、早々に引き上げ休むことにした。
1999年4月26日
6:30 起床、雷と大雨のため散策中止
8:00 朝食はパンとコーヒー、雨もやむ。
ホテルのまわりを散策、メコン川のほとりで緑豊かないいところだ。
9:00 猪尾氏と落合い、BHNのビエンチャン事務所へ行き打ち合わせ。
当初予定の準備が遅れており、資材買い出しからはじめることに。
パイプ、針金、ボルト、スコップ、大ハンマ、バッテリーなど
ここのお金は1$=6000Kip位、50Kip=1円位で100,500,1000,2000,5000Kipの札のため、両替すると大金持ち!!
12:00 事務所となりのメコンレストランでチャーハンの昼食。
100円くらいだがなかなかうまい。
13:00 HQ PhoneHongへ出発。
運転手つきのランクルで行動決定。
運転手は英語と日本語を少し話すが、一般の人はラオス語のみ。
35度80%暑い、田畑多く、ヤシ、竹あり、木々は太いのが多い。
一般民家は高床式の木造、ヤシの葉の壁と屋根が多い。
ビエンチャンに近い街はレンガ造りも結構ある。
犬、猫はいないが、黒豚、牛、いろんな種類の鶏が道までぞろぞろ。
行く手をさえぎる。
約2時間弱走って現地着。          
15:00 今から工事するぞと張り切るも、パイプのつなぎ穴あけなど大変で準備だけして中止。
現地は16時が定時。
17:00 終了、近くの簡易ホテルへ。
水が良いのでシャワーも安心。着替え。
18:00 関係者8名で、日本のODAで造ったダムのそばのレストランへ。
ぶたガラスープにニンジンや訳の判らない野菜が入ってトウガラシがたっぷり。
野菜のようにとうがらしが。辛いがうまい。
魚にニンニク、ショウガ、ネギ、セロリがつけあわせ。
ラオサラダはまめ、そこらの木の葉っぱ?など。
タレは酢またはしょうゆが基本で、とうがらしがいっぱい。
牛肉と菜っ葉のような野菜いためはおいしい。
八宝菜のようなものと、もちごめの蒸籠ごはん。
ぬるいラオビールに氷をいれるとまずいよ。姉さん!
とかげや小さな虫、かげろうがいっぱい。現地の人は全然気にしない。ムシムシケラ気にしないはここからきたのか?
全部で220000Kips5500円位。安いけど高いと言っていた。   
物価は日本の約1/10かな。
21:00 簡易ホテル(ゲストハウスと言うらしい)に戻る。
小さな部屋だが小ぎれいである。
衛星電話で自宅にかけてみる。割と簡単につながり家族と話す。
庭の小池のウシガエルがブォーとうるさい。カエルと会話して就寝。
1999年4月27日
7:00 朝食、ホテルの回りはきれいに手入れされている。
途中でパイプ引き取り(穴あけを業者に頼んだ)、現地へ。
9:00 現地の人たちとともに工事開始。
HF5MHZツエップ、VHF148MHZアローラインの建設。
暑い中、建設指導しながら11:30完了。BHNの旗と共に記念撮影。
みなさん、決して工事中に飛び降りないでください。
足をくじいてこのあと苦労した私です。 
12:00 近くのレストランで昼食。
13:00 200Km先のSanakhamへ出発。
途中のFeuangで資材の一部を降ろして、身軽になる。
道が悪いので、パイプが撥ねてトラックの荷台の穴が広がった。
村の小さなマーケットでも覗いて一休み。目新しいものはない。
ここからは赤土で舗装してない、腸ねん転むち打ち道路が続いた。
途中の橋は、穴が開いていて、ハラハラしながらなんとか通過。
若者が、旧正月ということで、リヤカーにバッテリーとラジカセを積んで歌いながら引っ張って楽しそうに騒いでいた。
南下するとメコン川の流域に出て、対岸のタイがすぐそこだ。
川沿いの道は、回転こそないがまるでジェットコスター。
両手で車にしがみついていないと、跳びはねて舌をかみそう。
たんぼ以外は焼き畑農業で、手のかからない農法ばかり。
年中30度以上で、植物の成長は早く、いも類のように耕して手間のかかるものはあまり作っていないようだ。   
熱帯雨林の大木はまばら。
切株ばかりで資源の渇枯?木を大切に。
17:30 Sanakhamの病院に到着。
トラックは30分遅れで着。
赤土で汚れた顔や手を、病院の雨どいの水で洗いすっきり。
18:15 簡易ホテルに到着。
7時から9時までしか電気がつかないので早くシャワーを浴びろといわれ、ろうそくと石けんをもらう。
雨漏りはするし、足は痛いし。おいおいおい!
19:30 近くのレストランで夕食。
ここでも、定番の肉野菜いため、ご飯にラオビール。
ビールがちょっと高くて一本200円位。
21:30 暗くて何も見えず、早々に就寝。 
1999年4月28日
3:00 大雨で目が覚める。
7:00 ホテルのチェックアウト。誰も管理者がいなくて、探し回る。
昨夜のレストランで朝食。目玉焼き、ご飯、肉の炒め物、お茶。
初めての日本人だということで、日の丸の絵はがきにサインして壁に貼ってきた。
道路向かいのマーケットを覗くも、めづらしいものはない。
8:00 病院に到着。HFのツエップアンテナ建設工事。
うまい具合に場所があり、ポールを2本立てて、ステー杭一本と屋根側にステーをはる。屋根に登ってステー取りの指導。   
10:30 何度か長さを調整、HQと交信実験大成功。59+でひと安心。
石塚氏BHNに衛星電話で報告。私もハムランドに初めて連絡。
11:30 またまたあのレストランで昼食。ここしかないんだって。
からーーいスープ、ご飯、肉野菜いため、ピンクのパパイヤ
13:00 Feuangへ向けて出発。
途中の村の近くでは黒豚が道路わきの水たまりで水浴び。
牛や鶏、アヒル、七面鳥各種が幾度となく道をさえぎる。
行きの壊れた橋を迂回するも、道路と交差する川の水かさが増して渡れず、再度壊れた橋をわたることに。
15:45 Feuangに到着。
今から工事したいのを我慢して、打ち合わせ後ドクターの家に。
病院そばの共同井戸では、子供たちが水浴びと水汲みをしていた。
民家の庭にはにわとりなどが放し飼い。
戦前?の日本の農家と同じ様 な風景でどこかなつかしい。
田舎にもこんな所があったような。
16:30 ここの村には宿泊施設はないとのこと。民家もいいかも。
庭のテーブルで約3時間、ラオラオ(60度以上の焼酎?)と貴重な魚の干物焼きで延々と談笑。
友人ら10人位でよくしゃべる。
この間に旦那達は七面鳥を殺してさばき、奥さんが料理していた。
子供たちも明るくハーブを摘んで手伝っていた。
電気のない、土間式の台所、かまどがひとつ。
水がめのそばにしゃがんで丸太のまな板、鉈みたいな包丁で器用にさばいていた。 
しばらくするとろうそくをだしてきた。
電気は7ー9時位だけつく。
20:00 みんなで夕食。
床にビニールをしいて、そこにスープやご飯を並べて輪になってみんなでいただいた。
アルコールは食事中はないようだ。
この家は立派で調度品も結構あったが、ほとんどテレビなど見ない。
子供たちは5W位の豆球の様な電気の下で、難しい数学?を勉強して いた。
食後、子供たちに切り紙でチョウを作って見せてあげ、はさみをあげてきた。  
トイレなど裸足で濡れたコンクリートの上を歩くのがつらかったな。
2階の部屋は、はしご風階段で上り、蚊帳のなかにふとんをひいてく れた。
ちょっと凸凹気味だかまあ快適かな。  
2階は窓らしきものもあるが、枠だけで戸はない。雨が降れば振り込 
むだろうな。
風があまり吹かないそうで吹き込むことは少ないのか?
1999年4月29日 夜中に人の声や鳥の声、いびきなどで結構うるさい。
定番どおり、朝方に大雨が降る。
6:00 起床、お礼を述べて出発。
途中のマーケットでコーヒーとクッキーの朝食。一人100円位。
フィルムがなくなったので1本購入。made in japan 350円
8:00 Feuangにて工事開始
ここの病院の庭は牛や鶏が放し飼いになっていて注意しないとうんちがいっぱい。
端の方に共同井戸があり子供たちが水浴びや水汲みをしている。
VHF設置、みんな仕事の仕方に慣れて1時間で完了、
PhoneHongと交信を試みるも不感。
時間が早く聞いていないか?
とりあえず次のHimheupに行ってVHFの設置をすることに。
10:15 Himheupに到着、すぐに建設をはじめる。
はしごがない!
1時間程で完了。PhoneHongと交信。55位でFB。
Feuangとは2山あったので無理か?後で交信成功。
マクファイ、タコップ、マンゴーなど病院で試食、騒いだ。
12:00 ナムリ川のほとりのレストランで昼食、かわいい子いたな。
昼間から、ラオラオを回しのみ。
断ると私が嫌いなのかと怒られた。
13:30 猪尾さん達はFeuangに戻り、再度交信実験。
FeuangとPhoneHongとは直接無理だが、Himheup経由で実験完了。
石塚氏と私はPhoneHongに先に戻り、ゲストハウスで待機する事に。
途中の風景は今までの山岳地帯と違って、平屋や2階建ても多い。
彩りも結構多く、田畑がのどかに延々と広がっていた。
14:30 ゲストハウス着。
汗みどろなので、シャワーを浴びて、洗濯でもする。
16:00 猪尾氏達も到着、今回の設置および実験は成功裏に完了。
一休みして、打ち合わせ。夕食に外出ことにする。
ほっとして、ゆっくりとビールでも飲む。
いつもの肉野菜いため。キュウリ、春雨、肉のスープにごはん。
ビールを3本買って持ち帰り、3人でマンゴーをつまみに飲む。
ひとしきり談笑して23時ねむりにつく。
1999年4月30日
6:00 起床 27度、晴れ
荷物の整理、ショルダーと車付ケースにして、重い電話は自分でもってザックは石塚氏に依頼。
7:00 朝食 パンとお茶、コーヒー
8:15 HQに出向いて、責任者に挨拶、通信実験。
ケーブルの長さ調整でMP5つける。
21MHZをこっそりワッチ、7K1MGT/6石垣市がFBに入感!
10:00 Vienchanへ出発、猪尾さんの事務所へ
12:30 事務所の近くのメナムレストランでおいしい昼食。
ごはん、魚のフライ風、肉野菜、鳥、ラオサラダといっぱい。 
お店のかわいこちゃんたちと記念撮影?
13:30 1日目のLan-Xang Hotelにチェックイン
洗濯してようやくゆっくり一休み。
石塚氏はチケットの交換交渉、お土産探索されていた。hi
16時より、シサワンとの打ち合わせで事務所に行く予定も連絡つかず結局取りやめ。
電話がつながらずNGでした。
18:00 猪尾さんホテルにこられ、夕食しながら打ち合わせ。
ホテル売店でお土産をひとつ仕入れる。
20:00 猪尾さんに技術移転、ノウハウの伝授などなど。 
23:00 就寝。ラオビールがおいしい。        
1999年5月 1日
6:00 起床、荷物のまとめ
8:00 朝食、日本人家族と隣になりいろいろと情報交換。
9:00 近くの有名なマーケットへ??さんに車で送ってもらい買い物
シン(腰巻き風スカート生地)と肩掛けを購入
Tシャツ2$で数枚購入。
帰りはホテルまでトゥクトゥク3輪タクシーで3000Kips
12:00 野尾さんホテルへこられ、昼食しながらうちあわせ。
最後のラオ料理をたべる。
本屋を探すも土曜日のため休み。
14:00 ホテルバスでVienchan空港へ。
ここで石塚氏と猪尾さんとお別れ、一人旅モード。
荷物預けて、出国税5$払って通関。1.5Hもかかり、暑い!
16:20 例の双発機QV415/12Bでビエンチャン発、バンコクへ
飛び立つまでは、機内は蒸しぶろ。
タイ側は国土がきれいに整理され田畑もきちんとしている。
バンコクの近くは直線の道路が延々とつづいていた。
17:40 バンコク着
18:30 ようやくCONFORT-SUITE-AIRPORT-HOTELへのバスが来た。
日本人の多いこと。
19:30 ホテル着、Rayさんから林さんの荷物を預かる。
Rayさんへのジョニアカはいろいろと探すも見つからず。
電話は石塚氏、Rayさんにもかからず困った!
久々にゆっくりとシャワーを浴びてひげそった。
21:00 ホテル内のレストランで夕食。本場のワンタンは臭かった。
再度電話を試みるも、ぜんぜんだめ。
あきらめて23時ころ就寝。
1999年5月 2日
6:00 起床、朝食。
7:00 ホテル発、空港へ
8:00 通関、搭乗手続き
日本人が半分以上。搭乗手続き遅れの日本人グループが慌てていた。
9:20 先の日本人の関係で少し遅れてバンコク発、成田へ5000Kmの旅
出発後すぐに機内食、日本はもう昼の12時ころだ。   
17:00 成田着 (ここから日本時間)
空港近くでやけに低空をフラフラと飛行するのでちょっとあせる。
18:00 荷物をひとつ宅配して、京成線で上野へ。遠いな。
20:30 ハムランドにようやくたどりつく。ほんと疲れた。
仕事をチェックして、さあかーえろと。
石塚氏は3日発、4日の午前にお帰り。お疲れさまでした。
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